ブログ「私の90年代」

いまから20年まえの1995年といえば、わたしは福岡市内の高校に通っていた年齢だ。

県内でも不良が集うことで有名なその高校は、

「あ、あそこって雑巾二枚を並み縫いで縫って持参すれば入学できるっちゃろ?」

というデマを周囲から本気で信じられていたほどだった。そのたびにわたしは、

「そんなわけなかろうが! 本返し縫いで三枚たい」と答えていた。


わたしは、普通科に在籍しており、男女合わせて十三人という少数精鋭――学内では精鋭であったが、一般的には「中の下」――のクラスに通っていて、男女ともに仲が良かった。

ちょうどその時代には学生服を腰に落として履くスタイルが流行しはじめていた。DRAGON ASHに人気が出、その流れでHIPHOPも流行り出した。その影響なのかもしれない。

女子は短いスカートにルーズソックスが定番となっていて、学校では禁止されているために、最寄りの駅のホームで靴下を履き替えるという努力を怠らなかった。ヘアスタイルはボブが流行っていた。

わたしは、スケーターでもサーファーでもないのに、水色のSTUSSYの「RAT」Tシャツに、親不孝通りのヴィンテージキングで買った聞いたこともないブランドのスリーサイズアップくらいのデニムをリングベルトでしぼって履いていた。スニーカーはNIKE。

そのころはハイテクスニーカーブームの黎明期で、もっとも人気があったのがAIR MAX95だった。

多くの偽物が出回り、ストリート系のユーズドショップで本物をみつけたとしても定価の二倍以上で販売されていた。

高値で売れる、それを知った悪人どものとった行動は社会問題にまで発展した。

高校生男子や大人から恐喝してAIR MAXを奪う、いわゆるMAX狩りが各地で行われていた。

県内有数の不良高校に通っていたわたしは、しかし、普通科という見た目も中身もいたって普通の男子だったために、狩られることを恐れてAIR MAXを買求めることはしなかった。

そのかわりに、AIR MAX95と双璧をなしていたAIR ZOOM FLIGHT95を買い、また、友人はFOOT SCAPEを履いていた。

狩られることはなかったが、ZOOM FLIGHTのウルトラマンの目のようなデザインはひと目を引き、親不孝通りでは悪そうなB-BOYが振り返って、わたしの足もと、体躯、顔の順に視線を投げかけてくることもしばしばあった。そういうときは足早にその場を去った。


去年くらいから再びスニーカーブームといわれている。

じっさいに復刻モノやコラボが相次いで発売されている。昨年のセレクトショップや百貨店のスニーカーの売上上昇率もかなりすごかったと聞いている。

ただ、あのころのように爆発していない。

街を歩いていてスニーカーを狩られる不安を抱くひとはいない。それは大ヒットするようなスニーカーが出ていないだけなのか、それとも街から悪人がいなくなったからなのか……



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